出産時に伝説を作った私

1人目 研修生実習生などが来ていた時に予定日超過のため入院になりました。たまたまお産の少ない時期だったのでお産のないまま実習研修期間が終わってしまいそうなので、早く産んでくれと声掛けがありました。←どうやって…

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陣痛誘発剤を2日使いようやく陣痛に繋がり子宮口が開かず丸1日かかり夜中に家に帰ると叫び、徐々に記憶も薄れ、医師助産師実習生研修生計10名に囲まれて励まされ、研修終了30分前の16時30分に出産しました。

出てきた途端「でかっ」「でかいな」とざわめきが、赤ちゃんが連れていかれた先で「4110グラムです~!」

実習生研修生と助産師さんにお礼を言われました。

あんな大人数の出産はないと、珍しい体験をしました。

2人目は8月上旬が予定日でした。姉の予定日が9月上旬でした。姉は帝王切開だったので、日にちが決まっていました。私の子が予定日を2週間過ぎてから出て来たので、まさかのいとこと同じ誕生日になりました。また4キロ級でナースステーションがあの時の子?…みたいになってました

3人目

初めてお薬を使わず出てきた子です。

8センチ開いてから進みが早くて気持ちが追いつかないまま破水し出産に至りました。息が整っていないのにいきんでー!ほらーほらー!とまくし立てられ、「(頭が股に挟まり)痛いー!頭!痛いって!足取れるー!」と叫びまわり、

医師は「頭は痛くないと思うよ」

助産師「足は取れへん!」

夫「足取れるの?」

スカポンカンたちを蹴飛ばしたろうかと思いました。

無事元気に産まれました。

やっぱりナースステーションで「足取れるって叫んでたお母さん、上2人あの子やで」とやっぱり覚えれれていました

その飛び跳ねた短いアホ毛は新米母の勲章である

「出産後の抜け毛は想像以上らしい」と事前に小耳に挟んでいたが、これほどまでに抜けるとは思っていなかった。
ホルモンとは実に恐ろしい物である。妊娠中から一気にドカッと、あるいはジワジワト少しずつ、女性の体を内側から変えていってしまう。
それが好転反応的なものばかりならまだ良いが(例えば人生初の豊満なバストには一瞬心が躍った)そればかりではない。あるいは言ってしまえば辛いものが大半である。

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イメージしていた幸せいっぱいキラキラ妊婦さん&ママさんとは程遠い、それはそれは壮絶なものが現実の妊娠出産であった。
たとえば、情緒不安定になって小さなことでも検索魔になり、ネガティブな情報をうっかり拾ってしまって更に情緒不安定へと負のループ。
それまでの好物を受け付けなくなるつわり、そして自身の場合はそう、「出産後の抜け毛」である。
自身は多毛である。母親も姉も妹もみな多毛という多毛一家で生まれ育ち、自身ももちろん生粋の多毛である。

子どもの頃からボブにすればもっこりきのこヘアになり、美容院ではオーダーしなくても髪がガンガンにすかれていた。
髪の毛の重さで度々頭痛を催し、ポニーテールにすればゴムの方が耐え切れずちぎれ、極太ゴムで結べばこなれヘアとは程遠いまさに馬の尻尾を後頭部にくっつけたようなスタイルになってしまう。

そんな自身が産後の抜け毛時期に身に起こったことはこうである。
朝起きれば枕にぎっしり毛がくっついている。家の床という床にはもれなく毛が落ちている。それも何本も何本も何十本も落ちている。
あれ、カーペットの模様変えたかな?というくらいに落ちている。

風呂に入れば一回のシャンプーで排水溝の受け皿を髪の毛が覆い尽くす。この抜けた毛を毎日集めたらボリュームアップ用のウィッグが簡単に作れるんじゃないだろうかと真剣に考えたりする。そしてなにより、手櫛をした時の手の感触が違う。指先で感じていた毛量が、あんなに頼もしいほどに密集していた手触りが何やら少しずつ薄くなり軽くなり頼りなくなってくる。
しかし自身は考えていた。これはチャンスだ!今まで過剰に生えていた毛が抜けてやっとちょうどいいくらいに頭に収まってきた!と。

ポニーテールをしてもゴムは千切れない。こなれヘアとはいかないが、馬の尻尾感は薄い。
そのまま多毛な人生とおさらばできると心躍ったその時である。毛がいっせいに生え始めたのだ。

まるで抜けて行った友(毛)たちを弔わんとばかりに、抜けた穴を埋めようとあとからあとから生えてくる。
それも、生え際や分け目など目立つところばかりに生えてくる。いや、実際は万遍なく生えていたのかもしれないがとにかく短い毛がぴょんぴょんと立っては主張する。
ヘアクリームをつけてもぴょんぴょん。スプレーで固めてもぴょんぴょんとしたまま固まる。これはもう完全にお手上げである。
そのうち、市のイベントで同時期に出産した新米母たちの交流会があり参加してみることにした。
そしてそこにいる新米母たちを見ると、皆もれなく分け目から短い髪の毛がぴょんぴょんと立っている。もちろん自身もである。
一気にこの新米母たちをいとおしく感じた。ひとりひとりと握手して回りたくなった。
みな朝晩問わず繰り返される頻回授乳で目の下はクマができ、分け目からは短いアホ毛がぴょんぴょんと主張している。
そして赤ちゃんを見つめているのである。これを母の愛と言わずして何というのであろう。
だからこの短いアホ毛も、勲章なのである。胸を張って、アホ毛をぴょんぴょんさせて欲しい。
ちなみに自身はその後そのまま多毛な自分とさよならできたのかと言えばそうではない。全力で髪の毛達が復活を遂げ再び多毛の日々を送っている。
なので産後の抜け毛に悩まないで、大丈夫だよと大声で言いたい。

不安ばかりの叫び過ぎた初産

30歳の誕生日に、初めて妊娠していることが分かりました。労働時間が長い仕事をしていたので、結婚してから2年、やっと妊娠できたという感じで、とても嬉しかったです。しかし嬉しさもつかの間、極度なつわりに悩まされました。何を食べてもおいしくないし、主人が隣で食べているごはんの匂いだけで、気持ち悪くて吐いてました。しまいにはテレビでピザのCMなど見るのも、気持ち悪くなり、立っていられないくらい辛かったです。なので安定期に入るまで、2階点滴を打ちました。http://www.ush-journalismstudies.com/

やっと安定期に入り、体も心も楽になって、安心してしばらくは暮らしていました。フルタイムの仕事も、問題なくこなしていました。8か月に入った頃、赤ちゃんのより成長するはすの赤ちゃんが、ぜんぜん成長しなくなりました。大学病院で検査もしましたが、原因は分からず、ただ赤ちゃんが平均体重よりも低いので、通っていた通常の産院には拒否され、大学病院で出産する手続きをしました。その後、仕事の切りが良かったのと、体調の不安もあり、通常よりちょっと早く産休に入ることにしました。しかし、仕事を辞めたとたん、赤ちゃんがぐんと大きく成長しました。おそらく仕事のストレスだったのかなと今では思っています。ということで、大学病院ではなく、また産院で産む決意をしました。

その産院では、私はなるべく自然に生みたいという主張しました。出産予定日から3日過ぎた夕方、いきなりお腹が痛くなりました。「あっ、これが陣痛か!」と思って、即病院に電話しましたが、「陣痛が弱いから、もう少し様子を見て」との指示でした。しかし私としては、もう我慢できないので、20時頃、タクシーで産院に向かいました。

医師に診てもらいましたが、まだ子宮口が堅いので、時間がかかるでしょうとのことでした。でも私の痛みはますますひどくなって、「痛いー」と叫び始めてしまいました。そこで医師は「まだまだ時間がかかるのに、今からそんなに叫んでいたら、最後に息む力がなくなるから、無痛分娩、麻酔しましょう。」と言われました。私としては「自然に生みたい」というのが、夢だったのに・・・と思いましたが、もう痛さに耐えきれなかったので、無痛分娩の書類手続きに同意をしました。それから麻酔後、私は落ち着いて、夜も4時間眠ることができました。朝になって、朝ご飯も食べることができました。10時くらいになってから、それまでに感じなかった痛みが、どんどん増してきました。

そこで、助産師さんが確認してくれたら、だんだん降りてきてくれているとのことだったので、分娩室へ向かいました。そしてちょうど正午の時間に、初めての赤ちゃんに出会えました。背中に麻酔を打つ時は怖かったけれど、結果、自分にも赤ちゃんにも、周りの人にも良かった決断と思ってます。